おはようございますこんにちはこんばんは。
◆覚醒①
◆覚醒②
◆覚醒③
最近、日にちが変わる前に寝ている日が増えている。
寝る時間が早いせいか休日でも早く起き上がれるようになってきている。
昨日は予定がありお休みをいただいていたが、その予定が無くなったため家に居たので、気になっていたところを掃除してスッキリした。
ルーティンをやりつつ、あっという間に一日が過ぎた。
早起きブログを始めてからというもの、
『一日を一生のように過ごす』
という言葉が意識下に上がってくる頻度が増えるようになった。
ひとつのキーワードとして自分のなかにずっとある。
『〇〇歳まで生きるとしたらまだあと数十年ある』という逆算ではなくて
『この身体と心でこの地球上に生きるいのちがあと一日だったとしたらどう生きるか?何をするか?何を選ぶか?』
というテーマが、自分の中でより身近なものになってきている気がする。
実際に、いつどうなるかなんてわからない。
あまり考えたくはないが、健康だとおもっていても突然…ということや、何かに巻き込まれて突然…ということだって充分に有り得るのだ。そう、誰にでも。
わかっていることのはずだが、普段はそれを忘れている。もちろんずっと思い続けているのは大変だしそれに囚われてしまうと本末転倒なので忘れていてもいいのだが。
一日が一生だとしたらと考えると、何も無くても必然的に早起きするという行動が必要になってくる。
一日が一生だとするなら、起き上がるということが産まれるということになる。
(まぁ目が覚めた時点で産まれると考えることもできるし寝ながら携帯で何かする…でもいいのだが身体を動かすという意味での行動範囲は限られてしまうので。あとわたしの場合は二度寝三度寝してしまうので。)
ただ『行動をしなければならない』とか『ひとつでも多くのことを成し遂げなければならない』とか、そんなことはおもわない。
別に一日中寝ていたっていいのだ。
但しそれは自分がほんとうにそれを望むならの話だ。
例えば眠りたいとおもっているのにあれもこれもやらなければと無理に動くのは、その時の自分の望みではない。その時にどうしても自分がやりたいことややらなければならないことがあるならそれを早く終わらせて眠ることを最優先すればいい。
ただ『ほんとうは動きたい』『あれもこれもやりたい』そうおもうなら、あれこれ考えずに動き始めるしかない。その第一歩が『起き上がる』(一日を一生だとするなら産まれる)ことだとおもう。
ちなみにここまでの入力で40分ほどかかった。
長文を書くにしても30分以内におさめたいところ。その日の間に終わらせておきたいことを終わらせるためにも。