rakukara’s diary

らくだメソッド等に関するブログです。2023年9月6日より早起きブログ開始。

早起きブログ148日目

おはようございますこんにちはこんばんは。

 

◆覚醒①

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◆覚醒②
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◆覚醒③
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◆覚醒④
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覚醒⑤+実際に起き上がった時間
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久々にゲームをしながら、色々考えつつ寝てしまったせいか眠りが浅くなってしまった。

こんなにも覚醒が多いとあげるのにも手間を感じる。

 

昨日色々書こうとしたが時間を捻出出来なかったので今日になってしまったが、少し書こうとおもう。

 

一昨日の夜に悲しい出来事があり(訃報などではない)、涙ちょちょぎれていた(日本語がおかしい)。昨日の早朝にその余波に見舞われ、涙してしまった。

 

泣けるときに泣いておくというのは大事なことだとおもう。

 

昔は悲しい出来事があると自分を責めてしまうことが多かったが、いまはそれがほぼほぼ無い。それが無益であることが肚落ちしているし、自分を大事にすることが出来るようになったからだ。過去や未来ではなく、いま・ここを生きることに集中出来るようになってきたようにおもう。

 

でも、久々に昔の思考が頭をよぎった。

 

ベースが『わたしは間違っている』『わたしが悪い・わたしのせいだ』『わたしが居なければ良かったのに』『どうせわたしなんて』だった。

 

いわゆる『厨二病』的思考ともいえるかもしれないが

 

わたしが『居なくなればすべてが丸く収まるのだ』と半ば本気でおもっていた時期があった。

(いまは全くおもっていない。むしろ『いやいやとんでもねえよ?!』『んなわけあるかーい』『1人居なくなったら大違いやからな!!!』

とおもっている)

 

そう思い始めた(そういう思考に気づいた)のがまさに14歳、中学2年生の頃だったので、厨二病とは本当に上手いこと言ったものだなとおもう。(当時はそんな言葉は無かった)

 

辛いことや悲しい出来事があると

『そもそもわたしが生まれてきたこと自体が間違っていたのではないか』という思考に飲み込まれることがあった。

 

疎外感、場違い感が強かった。

 

いまも感じることはあるが、扱い方をある程度心得ている。というより、それが幻想、思い込みであることが肚落ちしたから、基本的に飲み込まれずにいられるようになったのだとおもう。

 

最初に挙げた厨二病的思考は極端かも知れないが、何らかの思考がよぎった時、ほんとうに事実なのかどうか自分に聞いてみると、少し冷静になれる。