3日ぶりの取り組み。今日はべてるの家上映会、且つ通塾日として寺子屋で取り組んだ。
11分16秒(前回比+35秒)
ミス2個(前回比−2個)
思ったより早くできた。
アタマで考える時間の感覚はアテにならない。
そして、まだこない未来のことを考えてしまうと、ここにとどまっていようとするチカラがはたらくのでは?とおもった。
例えば『今の単元(6-20)のときは計算〜ブログアップまでの一連の流れは30分もあればできる(ようになった)けど、次の単元(6-21)へ移ったとききっと時間がかかるからもっと時間を確保しておかないといけないな』という考えが常にアタマのなかにある。
その考えが逆に自然な流れを止めてしまっているのではないか?
なぜ次の単元は時間がかかると決め付けているのだろう?一発でできるかもしれない可能性に関しては排除しているのだろう?
なぜ今の単元はできるようになるまでに時間(枚数)がかかったのだろう?既存のやり方(計算の仕方)が自分にとって本当に合っているのだろうか?
あと、寺子屋での取り組みと家での取り組みとでは明らかに感覚が違う。
計算の仕方もミスの仕方も微妙に変わってくるのだ。
ここは意識的に左右できるところではないかもしれないが、あれ?なんでこの解き方をしているんだろう?あれ?なんでここでこんな間違い方をしたんだろう?と疑問に思うことがよくある。大きく変わってしまうわけではないけれど、明らかにいつもはしない解き方(それで解けている場合もあれば間違っている場合もある。、いつもはしない間違い方をしている。
ここでのさまざまな記憶が、そうさせているのか。
カラダが覚えているから、そうなっているのか。
それはわからない。
わかるようになるのか、わかるようにならないのか、それすらも、よくわからない。
けれど、そんな気がする。
それでいいのかもしれない。